イタリア旅行記
The Italian Culinary Institute For Foreigners妻の留学先

Italian Culinary Institute

For Foreigners

2001.08.22(WED)〜2001.10.18(THU)

 

妻の研修先

LocandaMalpassuti
Via Cantu 11
Carbonara Scrivia (AL)
Zona Centro
tel 0131/892643
fax 0131/893000

2001.10.19(FRI)〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラノ大聖堂

 

 

 

VENEZIA

 

 

 

 

嘆きの橋

リアルト橋

 

 

 

 

 

 

 

ピサの斜塔

ベッキオ橋

市場

子豚の食卓?

 

 

 

 

    

フェラガモ本店

HOTEL前のアルノ川運河

    

お洒落なRISTORANTE

 

愛用のスーツケース

 

期間 2001/12/30(SUN)〜2002/01/07(MON)


今回の旅の動機
妻が2001/08月にイタリア料理研修の為に単身留学をし2001年末で4カ月を迎えることとなった。留学期間は6カ月であと残り2カ月で帰国(たぶん??)の予定であるが、私も一度イタリアに行ってみたかったこともあり年末年始の休暇を利用して旅立つことにした。テロの問題でアメリカ本国でのAirのキャンセルは多いと聞かされていたが、イタリアに関しては今年がイタリア文化を取り入れる年だったり、江国香織さんと辻仁成さんによるベストセラー小説の映画化「冷静と情熱のあいだ」等が拍車をかけフィレンツェ&ミラノ行きの旅行者が非常に多く、殆どAirのキャンセルは無く私はイタリア本国でJALのAir予約を取ってもらったくらいである。

イタリアに着いて「歴史の重み」と「最新のファッション」が同居している街並みに驚きを感じた。特にフィレンツェの歴史の重みを裏打ちする建造物の数々には驚かされた。建造物の存在感と直線・曲線の美しさが点在する街でした。フィレンツェのDuomoから望む街並みを眼下に見下ろすと自分のちっぽけな悩みや、いつまでも稚拙な思考が不甲斐なく感じたりもしてしまう・・・・そんな街でした。

当初の計画はこの期間でローマまで足を延ばそうと思っていましたが、レストランオーナーシェフに「毎日違う街の見学では思い出が薄い」と言われ、ミラノ・ウ”ェネツィア・フィレンツェを2日間づつ時間を取り楽しみ至福の時を過ごすことが出来ました。雑誌にはけして載っていないレストラン・ショップ・街角に行くことも出来ました。

また、噂では聞いていましたが街中でのカップルのキスの多いこと(多すぎ)には私の方が赤面するほどであった。それだけ情熱的な人・街なのであろう。また、時期的にとにかく寒い。朝は−7℃〜−10℃でロングのダウンコートがちょうど良い季候でした。


国旗
イタリアの国旗は左から緑白赤の三色旗で、トリコローレ(tricolore)と言われることもあるそうです。
緑は国土、白はアルプスの雪と正義と平和、赤は愛国の熱血を表わします。
国旗は現代イタリア統一を指揮したサヴォイア王家が1851年に指定したまので1861年の統一時にも引き継がれ、 1947年に君主制から民主制に変わった時には中央にあった王家の紋章が削除されました。

国歌
イタリア国歌はマメリの賛歌:Inno di Mameliまたはイタリアの兄弟:Fratelli d'Italia(Goffredo Mameli作詞)。 19世紀半ばに歌われだしたと言うこの歌は1946年に国歌に指定されました。

国土
イタリア共和国の国土はヨーロッパ南部のイタリア半島を中心にして、大きな島としてサルデーニャ島、シチリア島の二つがあります。
北限:北緯47度5分(アウリーネ)。南限:北緯35度29分(ランペドゥーサ島)。
東西:東経18度31分(オトラント岬)から東経6度37分(コツィエ) 

行政
行政区画は国>州>県>コムーネとなっており、州制度は1970年1月から実施されていて、 15の普通州と3つの特別自治州、2つの自治州の計20州から構成されている。県は各州に所属し総数は100を超える。
コムーネは地方自治体の最小単位で8000以上あり、日本で言う市町村をひとまとめにしたと思えば分かりやすいです。

言語
共通語はイタリア語だが、フランス語を使うアオスタ渓谷やドイツ語を使う南チロル(アルトアディジェ)、そのたフリウリ語、ギリシャ語などを使う地域もある。英語でも少しは可能でした。勿論、妻はイタリア語話せますが私は挨拶だけです。Buona seraくらい・・・(笑い)

通貨
通貨は日本語でリラ。リラを使う国は他にもある(トルコなど)ので区別してイタリアリラとも言うことがあります。
イタリアリラはヴァティカン市国、サンマリーノ共和国でも発行しており、これら小国の貴重な財源となっています。
価値的にはEUの通貨統合により1936.27リラで1ユーロと固定されており、その結果ユーロを使用している他EU諸国との変換率も常に同じです。
私が行った翌日よりユーロ換算となりました。お店のレジはリラとユーロが入り交じっておりお釣りは合っていたのかな?
出回っている硬貨は L.50、L.100、L.200、L.500、L.1000の5種類。L.50は大小あり、L.100は大中小ある。
紙幣はL.1000、L.2000、L.5000、L.10000、L.50000、L.100000が存在している。

時差
日本との時差は−8時間 (サマータイム時は−7時間)

2001/12/30(SUN)

成田発 日本航空 JL417
  14:40(定刻13:30)−26:45(約12時間05分) 現地18:45

ミラノ MILANOのマルペンサ Malpensa国際空港に18:45着。妻が迎えに来ている。実に4カ月ぶりの再会である。マルペンサ Malpensa国際空港よりバス(約50分)にてミラノ中央駅 Staz.CentralF.S.に到着。電車に乗り換えてトルトナ TORTONA駅(約60分)に向かう。駅には妻のお世話になっているレストランのシェフ フェブリツォさんが車で迎えに来てくれました。(約10分)レストランへ到着。

2001/12/31(MON)
ミラノ MILANO 観光。
ミラノの公共交通機関は、バス、メトロ(地下鉄 M)、そしてトラム(路面電車)の三種類があります。メトロは地下鉄の事、ミラノにはそれぞれ、一号線(Linea uno)二号線(Linea due)三号線(Linea tre)の三路線が走っています。また、これらの路線はそれぞれ、赤(Linea rossa)緑(Linea verde)黄色(Linea gialla)と表現される事もあります。トラムは路面電車、日本では少なくなりましたが、ミラノではまだまだ市民の足として役立っています。私たちは殆どメトロと足で移動しました。


ミラノ大聖堂 Doumo di Milano
ショッピング
夜は妻の研修先(レストラン) Locanda Malpassuti にて客として食事をする。

2002/01/01(TUE) VENEZIA 1/2日
ミラノ中央駅 Staz.CentralF.S.からユーロスター特急にてウ”ェネツィア VENEZIA サスタ・ルチア駅 Stazione Santa Luciaへ向かう。途中にウ”ェローナ Verona を通過するがここは「ロミオとジュリエット」の舞台になった街で例のバルコニーのあるジュリエットの家がある。ウ”ェネツィア VENEZIAからの交通手段は電車・車は無く、全て海上交通のみである。私たちは水上バス ウファポレット を利用して移動することにする。ちなみにゴンドラは7,000円/50分(ちょっと?かなり高い)

HOTEL アグリ・アルボレッティ AGLI ALBORETTI

サン・マルコ寺院 Basilica di San Marco
ヴェネチアでもっとも有名な建物はサン・マルコ大聖堂です。大聖堂の建設は828年ごろにはじまり、火災ののち、1060年ごろに今の建物になりました。この教会で15世紀から17世紀にかけて数多くの著名な音楽家たちが活躍してきました。1527年にサン・マルコ寺院の楽長になり、二重合唱の創設者とも言われるフランドル出身のアドリアン・ウィラールト(1490〜1562)。

サン・マルコ広場 Piaza di San Marco
ベネチアの顔、サン・マルコ広場は、世界で最も美しく調和のとれた広場のひとつです。広場の象徴はサン・マルコ寺院。ビザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンスなど多彩な様式で建造され、黄金のモザイクで飾られている内部も一見の価値があります。その他、鐘楼や時計塔、ドゥカーレ宮殿が渾然一体となってこの広場を作り上げ、三方を囲む回廊には有名なカフェやショップが並んでいる。 多くの旅人が自分の時間を楽しんでいました。 

ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale
ゴシック様式の外壁が美しいドゥカーレ宮殿には、ベネチア総督の住居、会議場、行政/司法庁がおかれており、現在は黄金の階段や総督の間、「ベネチアの勝利」が飾られた元老院の間、投票の間、ティントレットの「天国」、べロネーゼの「ベネチア礼賛」の絵画が展示されている大委員会の間などが見学できるそうです。ドゥカーレ宮殿の裁判所と牢獄を結ぶため「嘆きの橋」は、刑を言い渡された囚人達がここでため息をもらしたことから名付けられた。

嘆きの橋
広場のすぐ近くに見える「嘆きの橋」。右の建物がかつての牢獄です。この橋は牢獄から処刑場に行く死刑囚に、最後にもう一度ヴェネツィアの景色を見せてやろうというとても残酷な橋です。

コレール博物館 Museo Civico Correr
ベネチアの歴史と芸術が一目でわかる美術館でした。。ジョバンニ・ベリーニの「聖母」、「キリストの変容」やカルパッチョの「高級娼婦」などは必見です。

リアルト橋 Ponte di Rialto
水の都ヴェネツィアは無数の島々で構成されるラグーンの中の都市であり、無数のカナル(運河)が通じ、現在のように橋が架けられるまでは、交通の手段はゴンドラや水上バスのみだったそうです。大運河カナル・グランデは全長が3キロメートルを越えるにもかかわらず、今日でも3つの橋しか架けられていない。その3つの橋のうち、真中の橋がこのリアルト橋である。1900年代にコルビジュエがヒューマンスケールの理想的生活圏のモデルとしたヴェネツィアで、リアルト橋は「橋の中の橋」であり、市場そのものであり、その橋と周辺の地域は、政治権力と経済権力の中心ともなった。

2002/01/02(WED) VENEZIA 2/2日
HOTEL アグリ・アルボレッティ AGLI ALBORETTI

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
サン・マルコ広場から海を隔てた向かいのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島にある教会。水面に浮かんでいるように見える美しい姿から「水辺の貴婦人」と称されている。内部にはティントレットの「マナの収拾」、「最後の晩餐」がある。教会の奥には丹念な木彫りが施された聖歌隊の椅子が並んでいる。エレベーターで鐘楼に出ると、対岸にサン・マルコ広場、ドゥカーレ宮殿をはじめ、サン・マルコ湾に面した建物群を見渡すことができる。S.ZACCARIA水上バス乗船場から約5分。

アカデミア美術館
14〜18世紀にかけてのベネチア派絵画を一堂に集めたとてもとても広い美術館でした。ジョバンニ・ベリーニ、ジョルジョーネ、カルパッチョ、マンテーニャなど有名な作品ばかりでしたが私にはかなり重い表現・表情のものばかりでした。北斎の展示も有りました。


ムラーノ島 Murano
ベネチアン・グラスの故郷、ムラーノ島はベネチアから北東1.5km、水上バスで約10分のラグーン上に位置する。ベネチアン・グラスが島内で作られるようになったのは、1291年に度重なるガラス工場の火災から街を守り、そしてガラス作りの秘法の流出を防ぐため、ベネチアにあった工場が全てこの島に移されてからのこと。以来、ガラス製造業は固く保護され、名工達は競って傑作を作り、現代に至るまで伝統的な技法が受け継がれてきた。島内にあるベネチアン・グラスのショップでは、制作行程が見学できるところも多い。また、ベネチアン・グラス博物館(Museo Vetrario di Murano)には、帝政ローマ時代から今日までのベネチアン・グラス約4,000点が所蔵されている。

ブラーノ島(今回は時間が無く行けません出した。)
ベネチアから北東9km、水上バスで約40分のラグーン上に位置するブラーノ島は、レース編みの生産地として知られている。また、赤や青に塗られたカラフルな家々が運河沿いに建ち並ぶ美しい島としても有名。女性は家でレースを編み、男性は漁に出た昔、海上から我が家を見分けるために、より鮮やかな色をペイントしたといわれている。空中編み(Punto in Aria)と呼ばれるレース編みの技法は、15世紀にベネチアとその周辺の島々の修道院などで始められ、16世紀にブラーノ島で家内工業として盛んに行われるようになった。空中編みは7つの異なった技法があり、1人が1つの技法をマスターして、7人によって1つの作品が完成する。緻密で根気のいる作業であり、1枚のテーブルクロスを数年がかりで編み上げるため大変高価。最近は中国産のレース製品を売る店も増えたが、旅行の記念には小さくても本物のブラーノ・レースを手に入れたいもの。また、島内にあるレース博物館(Museo del Merletto)では、レース編みの技法や道具を紹介している。

2002/01/03(THU) FIRENZE 1/2日
ウ”フェネツィア VENEZIA サンタ・ルチア駅 Stazione Santa Lucia から フィレンツェ FIRENZE サンタ・マリア・ノウ”ェッラ中央駅 Staz.Central di S.M.N へ向かう。

HOTEL ブレターニャ Bretagna

ピサの斜塔へ Pisa サンタ・マリア・ノウ”ェッラ中央駅 Staz.Central di S.M.N より約電車で1時間。1173年に建設が始まったピサの斜塔は、施工中に塔が沈下して何度も工事が中断されました。そのたびに設計が変更され、完成したのはなんと約200年も後の1370年のことでした。壁面や回廊がすべて白大理石作られたピサの斜塔は、当時としは珍しい超高層ビルといえます。

ショッピング

ベッキオ橋
アルノ川にかかるフィレンツェ最古の橋13世紀には肉屋,革のなめし屋さんが並んでいた16世紀から宝石屋さんが並ぶようになった。

 

2002/01/04(FRI) FIRENZE 2/2日

サルウ”ァトーレ フェラガモ Salvatore Ferragamo
本店は13世紀に建てられた格調高いスピーニ・フェローニ宮殿であり、3階にはフェラガモの靴の歴史を物語る博物館も併設されていましたが01/07迄は休館で見学出来ませんでした。

ウフィッツィ美術館 Galleria Degli Uffizi
世界で最も称賛を受けているウフィッツィ美術館の500原画を収録。自分の意志で館内を移動しながら観賞でき、ズーム機能によりディテールも十分に楽しむことができます。また、「作者の経緯」「用語集」「公文書庫」などの参照ページも豊富で、専門的なレベルまで深く理解することもできます。

ドゥモオ Duomo
花の聖母教会(ドオモ)とジョット設計の鐘楼175年かかって完成、30000人が入る教会。クーポラはブルネレスキーの設計、463段の階段を上る。途中人1人しか通れない箇所もあります。

    

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FIRENZEの美しい街並み(360度)

2002/01/05(SAT)
サンタ・マリア・ノウ”ェッラ中央駅 Staz.Central di S.M.N よりユーロスター特急にてミラノ中央駅 Staz.CentralF.S.に戻ってくる。

ショッピング

ミラノ中央駅 Staz.CentralF.S.に到着。電車に乗り換えてトルトナ TORTONA駅(約60分)に向かう。

 

2002/01/06(SUN)
レストランのシェフ フェブリツォさんが車で妻の通っていた外国人のためのイタリア料理研修機関/政府公認の正統イタリア料理研修 Italian Culinary Institute For Foreigners 学校に行く。

アスティ ASTI 見学

空港のDFSでお土産購入。

マルペンサ空港発 日本航空 JL418 20:10−17:30(約11時間20分)

2002/01/07(MON)

 −21:00帰宅。桃ちゃん「ただいま」